研究テーマ
液体キセノンの特性の研究
多くの実験で用いられつつある優れた液体キセノン
XMASS実験のところでも触れましたが,液体キセノンは真空紫外光(λ~175nm)を発する優れたシンチレータで,光量が非常に多く,蒸留で超低放射能化が可能であるなど,先端的ないくつもの宇宙素粒子実験の核となる検出器媒体です。しかし,様々な資料を調べているうち,液体キセノンには正確に知られていない特性がいくつもあることがわかってきました。このことで,液体キセノンを用いた実験を進めている多くのグループは,どこもたいへんに困っていたのです。
誰も測ってないなら自分で測ろう!
特性がわからなければ,じゃあ自分達で測ろう,そう考えて,我々は屈折率を精度良く測る実験を行うことにしました。過去の測定は何が問題なのか? どのように工夫すればより良いデータが得られるのか? すべてがゼロからのスタートですが,そのような研究は楽しいもので,やりがいがあるものです。このような研究を行えば,今後,長きにわたって多くの研究の役に立つでしょうし,テーマが明解でわかりやすく,しかも少人数で進められる小規模な研究は,大学院生のテーマとしてもたいへん教育的です。
順調に進んだ液体キセノンの屈折率の測定
我々は最初に,2002年度から液体キセノンの屈折率の測定を始めました。液体キセノンの屈折率がわからないと,液体キセノン検出器の光学窓からの光の取り出しの効率が評価できませんし,媒質内の散乱長も,壁面での反射率も皆,何ひとつ計算できません。このように,屈折率は液体キセノンを測定器に用いる際に設計から解析にいたるまで必要不可欠な定数であるにもかかわらず,信頼できる正確な値が最近まで長年にわたって知られていませんでした。
この状況を打開すべく,中村研では液体キセノンの屈折率の測定手法を徹底的に検討し,結果として前例のない新しい実験を発案しました。そして実際に,予備テストを行った後に本実験を行ないました。実験を進める過程では,その意義を認めて頂いた高エネルギー加速器研究機構のスタッフの皆様から大いなる支援を受け,また知能物理工学科や東京大学宇宙線研究所からも順次,資金的な援助を頂くことができて,そして歴代の大学院生が智恵を絞って実験装置は地道に改良を重ね,順調にデータが得られるようになりました。
放射線計測の教科書の記述を刷新
最初のデータとして,2004年2月の研究会で約1.61±0.01(@177±5nm)という屈折率を初めて示しましたが,結果は過去に測られていた測定値とは有意に矛盾するものでした。そこで我々は,慎重を期すため,さらに波長依存性や圧力依存性をも測定し,結果の理論的な解釈や,相容れない実験値を報告した他の実験の問題点の指摘までも含めた決定的な報告をしようと努力を続け,間もなく最終報告を行ないます。こうして得られた結果の速報値は,すでに放射線計測学の標準的な教科書にも掲載されつつある他,実際にXMASSを初めとする多くの実験研究において広く用いられるつつあります。
液体キセノンのシンチレーション波長の精密測定に取り組む
我々は現在,屈折率の測定実験を発展させ,液体キセノンのシンチレーション波長の精密測定に取り組んでいます。液体キセノンのシンチレーションの中心波長は,液体キセノンを用いる実験グループにより,174nmや178nmなど僅かに異なる値が用いられてきていますが,一見僅かと思われるこの2%弱の波長の違いが,液体キセノン中のシンチレーション光のレイリー散乱長(注)に20%余りの計算誤差をもたらします。これは,レイリー散乱の確率が光の波長の4乗に反比例することと,散乱の原因となる屈折率の揺らぎ(すなわち媒質の密度揺らぎ)が屈折率同様に波長により大きく変化することの両方に依ります。最近になって,KEKの齋藤氏等により,気体キセノンの発光波長が以前から信じられてきた波長と異なることも明らかにされ,また,以前の波長の測定実験には結果に誤差をもたらす原因が推定されることから,液体キセノンの応用が進んでいる今,我々の手で新たな実験を行って,信頼のおける測定結果を世に出したいと考えたのです。
注)レイリー散乱長:レイリー散乱により強度が1/eになる長さ
困難な液体キセノンのシンチレーション波長の精密測定
液体キセノンのシンチレーション波長の測定は,実際にはかなり困難な実験になります。それは,約-100℃という低温のもと,シンチレーションの微弱な真空紫外光のスペクトルをさらに分光器で"スライス"した超微弱光を正確に測光しなければいけないからです。光学系の応答の波長依存性も正確に把握して補正することも欠かせません。このためには,とても注意深く実験を進め,信頼を得るための装置の校正も必要です。このため,我々はこれまでにVUV光の測定法の研究と超微弱光の測定方法の研究を行い,最終的に同時計数を応用した方法を適用することで,2008年度までにプラスチックシンチレータを用いた試験で現実的な波長測定に成功しました。これと並行して,液体キセノン用の新たなセルの製作も済ませ,準備はほぼ完了しています。結果を期待する励ましの声にも後押しされ,2009年度にはいよいよ,液体キセノンを用いた測定に取りかかります。そして,最終的に1nmの精度で中心波長を決めることを目標としています。
今後の液体キセノン研究の展開
我々は,これまでの経験を活かし,臨界点付近の常温かつ高圧の液体キセノンの物性の測定も取り組みたいとも考えています。これは,2重β崩壊実験などで将来に必要となる可能性がありますし,むしろ,このデータが将来の実験の方向性を左右するかもしれません。さらにまた,液体キセノン中での金属の反射率(真空中とは異なる)や,テフロン樹脂の反射特性の研究なども測れれば面白いだろうと考えています。これらはいずれも,正確な実験結果が報告されておらず,液体キセノンを放射線測定器として用いる上で障害になっています。
他の基礎科学分野や医療分野にも貢献
我々は,液体キセノンの研究をXMASS実験のために始めましたが,液体キセノンは他にも,基礎科学分野ではμ→eγ希崩壊探索実験(MEG実験)やガンマ線天文学のための観測衛星などに,また医療分野では癌の診断に用いられているPET(positron emission tomography)装置などにも用いられつつあります。そして我々は,2007年よりKEKで始められている液体キセノンTPCの基礎研究にも加わりました。このように,我々の研究はいくつもの分野に大いに貢献し発展してゆくことでしょう。