中村研究室の歴史
研究室誕生以前(~1991.3)
研究室の起源は,もとをたどれば中村が子供の頃まで遡るかと思いますが,長くなりますので余り昔のことはここでは割愛します。大きな転機のひとつは,素粒子物理学の実験的研究をやりたいと思っていた大学生時代,在籍していた大学にはその分野の研究室がありませんでしたが,素粒子理論を専門とするI教授が東大の大学院の研究室への進学を勧めて下さったことです。それが後にノーベル賞を受賞し有名になった小柴昌俊先生の研究室でしたが,私は当時,そんなに大きな成果が待ち受ける研究室とは予想だにしていませんでした。
![東大宇宙線研究所神岡宇宙素粒子研究施設にて[1988年3月]](8803_kamioka.jpg)
教育学部に誕生(1991.4~1997.9)
中村が本学教育学部物理学教室に就職した1991年4月,本研究室は誕生しました。事前の予想とは異なり,最初から一研究室を任されて運営することとなりましたが,与えられた部屋にはドライバー1本無い,がらんとした状態で,しかも運営のための校費も極めて乏しく,ずいぶんと苦労がありました。しかし,そんな中でも,それまでに携わってきた研究テーマを共同研究で継続することから始めて研究室の立ち上げを進めました。むしろ,そのような困窮の時代に育った学生は,その後もたくましく育つ傾向があるのは興味深いことです。立ち上げ時のテーマとしては,中村が院生時代から長く関わってきた地下での超重粒子の探索実験(東大,早稲田大学,日本大学との共同実験)を行っていましたが,徐々に個性を発揮して新たなテーマを追い求めるようになりました。それらは,以下のようなものでした。
- 高エネルギー加速器研究機構を中心に準備が進められている電子陽電子衝突型線形加速器(ILC)実験のための加速器の開発
- 加速器では生成困難な,宇宙初期に創られたかもしれない超重粒子の気球高度での探索
- パウリの排他律の破れの探索
- 大地震に伴う電磁気現象の観測プロジェクト(阪神大震災の直後)
- 鉱物からの微量放射線の測定
- 有限要素法を用いた山体崩壊地形の考察

以上のテーマは,その時々のご時勢と学生の皆さんの多様な興味に従って,臨機応変かつ大胆に多種多様な様々なテーマを選んできました。これらの経験が,かけがえのない貴重な蓄積となって今の研究室があると言っても過言ではありません。
工学部の研究室として(1997.10~)

ちょうどその前後から,以前の共同研究者から新しい実験計画への参加を求められることが続きました。早稲田大学の道家先生からは,宇宙線超重核観測計画(HNX/ECCO)への参加を,また小柴研時代の同級生であった東大宇宙線研究所の中畑氏からは,液体キセノンを大規模に用いる神岡鉱山での実験計画(XMASS)に誘われ,それぞれ自分たちに出来ることを具体的かつ独自のテーマを選んで取り組むこととなったのです。
