研究テーマ

液体キセノンの赤外発光の研究(2017.6.26掲載)

世界最大規模の宇宙暗黒物質探索を支える液体キセノン

 宇宙暗黒物質(ダークマター)の正体の解明は,宇宙物理学の最重要課題の1つです。そのために,液体キセノンをシンチレータとして用いた暗黒物質探索が世界各地の地下で進められています。最近では,その規模は拡大を続け,トンを越える規模になってきました。また,液体キセノンは,標準理論を超える素粒子の統一理論を検証するために素粒子のμ粒子の希な崩壊を探索するMEG実験でも使われていますし,ニュートリノのマヨラナ質量を測る0ν2重β崩壊探索にも利用されつつあります。このように,液体キセノンは最先端の宇宙素粒子物理学実験を支えるキーとなる物質なのです。

液体キセノンは赤外でも発光する!?

 液体キセノンは,波長が175 nm前後という短波長の真空紫外(VUV)光を発するシンチレータとして1960年代から知られており(文献1),その光検出器にはこのVUV光に感度のある光センサが現在まで用いられてきました。しかしながら,国外において2000年から2003年にかけて,キセノンが近赤外(NIR)領域でもVUV光の40 %前後のシンチレーション光を発することがあるとの測定の報告が少数ながら出されました(文献2)。これらによると,
 ・気体キセノンは,0.7-1.6 μmのNIR波長領域で,約21,000光子/MeV
  もの発光がある。
 ・液体キセノンは気体キセノンよりNIR領域の発光量が少ない。
とのことでしたが,結局いずれの測定も精度が低く,発光機構に至っては殆ど分かっていないようでした。その後,この赤外発光特性の研究については目立った進展がないように思われました。

赤外発光? あるなら自分も測りたい!

 VUV光以外にNIR光も出ているとは,中村研でも当初は全く知りませんでした。しかし,最初からNIR光は出ていないと決めつける理由は何もありません。国外の研究動向を受け,国内では私が赤外発光を測るのにもっとも適切な立場にあるのではないか,測ってみるべきではないかと考えました。中村研では2002年頃から現在まで,液体キセノンを大規模に用いる本邦の暗黒物質探索実験XMASSのために液体キセノンの基礎的な特性について研究を進めてきました。そして,以前から用いられてきた特性値の中に精度が不十分な量があることから,液体キセノンについて様々な技術を習得しながら,その特性の測定に取り組んできました。最初に液体キセノンのVUV領域から可視域にわたる屈折率を決定(文献3)し,次にVUV発光の波長スペクトルの決定(文献4)を行ない,そして,VUV発光の減衰時間特性の測定などをこれまでに手掛けて経験を積み重ねていました。特に,VUV発光の波長スペクトルの決定実験にはNIR発光の研究に直接に応用出来るノウハウが多く,多くの既存の装置の再利用が可能で,導入すべき機器は,主に,NIR領域に対応する分光器と,NIR光のセンサであると考えたのです。

 そして,2010年末に実際に,気体と液体のキセノンをα線により励起してVUV発光と相関をもったNIR発光が生じていることを確認して,2011年秋の日本物理学会で報告したのです(文献5)。しかしこの測定実験は,実験装置の最適化には程遠かったため感度が低く,やはり十分な精度で結果を出すことは出来ませんでした。その最大の要因は,使用した光センサの有効面積が小さくNIR光の検出効率が小さかったためで,NIR発光の事実を確認した程度にとどまったのです。

赤外光を測る方法と難しさ

 中村研では,2013年から科研費を頂き,シンチレーションの微弱なNIR光の波長スペクトルを精度良く測定すべく,NIR光用の分光器と光電子増倍管を導入しました。特に,NIR光用の光電子増倍管は特殊で測定の鍵と考えました。測定系の光学系の主要部の平面図を,以下の図1に示します。

光学系の主要部の平面図 図1 光学系の主要部の平面図

 液体キセノンを貯める光学セルには,従来の系を引き続き使用し,逆T字型の形状をした横長のステンレス製の円柱型セルを用いました。この光学セルの両端には,ICF34規格のMgF2窓のビューポートを取付け,シンチレーションの真空紫外光を高い効率で取り出せるようになっています。この光学セルは,真空槽内に上部の蓋からぶら下がる形で取り付けられ,蓋を通してキセノンガス系と接続されました。なお,光学セルは真空槽の横に直結した分光器の入射スリットに十分に近付け,光学セルの内表面からの不要な反射光が分光器に入ることを極力抑えました。

 光学セルからのシンチレーション光は2つの窓から出るが,分光器側の窓から出た光は分光器(Princeton Instruments,SP-2358)により分光され,分光器の出射スリット側に取り付けたNIR領域用の光電子増倍管(HAMAMATSU, R2658PまたはH10330B-75)で光子計数を行ないました。また,もう一方の窓から出た光は,窓の近くに置かれた真空槽内の光電子増倍管(HAMAMATSU, R7600)でVUV光を測光し,シンチレーションの発生を知る信号を取得しました。

 各光電子増倍管からの信号はそれぞれ最初に2つに分岐し,そのままのアナログ信号と時間情報を持つNIM信号とを生成しました。そして,両光電子増倍管のNIM信号が同時に発生した時のみ,アナログ信号をADC回路で処理し,CAMACシステムを通じてPCに取り込むデータ取得を行ないました。この手法により,常温でも光電子増倍管自身が発する熱ノイズの影響をかなり抑制した光子計数が可能になり,高いSN比で微弱な光の波長スペクトルを取得することが可能になりました。

 液体キセノンの原料には,市販の高純度キセノンガス(Japan Air Gases Co., 純度>99.999%)を用い,実験の開始時に純化装置(SAES, St707Pill/4-2/50を用いて構築)を通してさらに純化したのち,パルス管冷凍機(IWATANI, PDC08Y)を用いて約-110℃に冷却し液化して光学セル内に貯めて用いた。キセノンの圧力と温度は,それぞれ,ガス系に接続した精密圧力計(YOKOGAWA, MT110)とセル内に取り付けた白金抵抗温度センサ(LakeShore, Pt-111)を用いて測定しました。

 なお,液体キセノンは,真空槽の外側の近傍に固定した137Cs線源(2 MBq)と57Co線源(2 MBq)を両方同時に用い,137Cs の662 keVのγ線と57Co の122 keVのγ線で励起しました。

 しかし実際には,様々な困難に見舞われました。NIR光用の光電子増倍管のノイズの多さや感度の低さのみならず,シンチレーションのVUV光とどのような方法でタイミング合わせたら良いかなども工夫が必要でした。これらについては,後日に追記したいと思います。

液体キセノンの赤外発光のスペクトル

 Preliminaryながら,気液平衡状態の約1気圧(105Pa)の液体キセノンについて,γ線励起した時のシンチレーションのNIR領域での発光スペクトルを従来よりも精度良く測定することに成功しました。結果の液体キセノンの赤外発光のスペクトルを以下の図2に示します。

液体キセノンの発光スペクトル 液体キセノンの発光スペクトル 図2 液体キセノンの発光スペクトル(下図は上図の縦軸を10倍に拡大した図)

 結果として,先行研究の報告により当初に予想していた波長である1.3μm前後に信号を見出すことが出来ず,その代わりに,700-1,100 nmに有意な発光を見出しました。この波長帯は,従来に液体キセノンの発光として報告されたことがないと思われる新しい結果です。

 新たに見出した700-1,100 nmの発光の起源の調査も行ないました。その結果,液体キセノンがNIR領域において高い透過率を示すことと,気体キセノンについて知られている発光スペクトルとの比較から,キセノン原子の励起状態間の遷移に伴う発光が起源であることが予想されますが,断定するには時期尚早で,追加の研究が必要と考えています。

 なお,NIR領域の発光が実際にキセノン原子の励起状態間の遷移に因るものであれば,放射線の入射に伴なう励起されたキセノン原子の状態分布によって,放射線の相互作用の種類によるVUV領域とNIR領域の発光の強度比に違いが見られる可能性が示されたことは興味深いことです。そのことも念頭に,今後にさらに研究を行ないたいと考えています。

 その他,予想していなかった本研究の副次的な成果として,本研究にで測光系の光の検出効率の波長依存性をVUV領域からNIR領域まで幅広く決定する校正を行なった結果,液体キセノンの近紫外(NUV)領域での発光スペクトルも取得されました。この結果は,近年に理論と実験との間で食い違いが顕著になりつつある液体キセノン中でのシンチレーション光の散乱長について新たな情報を与えることとなり,重要な結果となっています。

液体キセノンの赤外発光研究の今後の展開

 液体キセノンの赤外発光を一所懸命に調べているうちに,この研究がさらに多くの副次的な研究に繋がりそうだと考えるようになりました。一例を挙げると,これまでVUV光のシンチレーションのみ考えられてきた液体キセノンでしたが,他の波長でも発光していれば,その強度比は入射放射線の種類や入射の仕方によるかもしれませんのでこれまで以上に豊富な情報が得られる検出器媒体になる可能性があります。また,液体キセノンシンチレータは純粋な媒質で構造が単純ですので,温度と圧力を決めれば世界のどこで誰が調製しようとも同じ特性が得られるのもメリットなのです。

引用文献
1,J.Jortner et al.,J. Chem. Phys. 42 (1965) 4250-4253.
2.S.Belogurov et al., NIM A 452 (2000) 167-169; J.A.Wilkerson et al., NIM A 500 (2003) 345-350; G.Bressi et al., NIM A 461 (2001) 378-380.
3.例えば,S.Nakamura et al., Proceedings of Workshop on Ionization and Scintillation Counters and Their Uses (2007) 27-34など。
4.例えば,K.Fujii et al., Proceedings of the 25th Workshop on Radiation Detectors and Their Uses (2011) 84-89など。
5.中村正吾 他, 日本物理学会2011年秋季大会(2011)16pSH-12.